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姨捨に行ったら『道徳踏切』なんてモノがあったので、道徳について考えてみた

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JR姨捨駅の近くに遮断機も無いほど小さな踏切があります。柵があるので自転車さえも通れないようになっているのですが、なんとこの踏切、名前を『道徳踏切』というのです。『道徳』を辞書で調べると「人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く」とあり、なかなか単なる踏切のネーミングとしてはちょっと重々しいようにも思います。

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しっかり道徳踏切と書かれています

平仮名でも『どうとく踏切』とありますしね。地名で言えば、千曲市八幡にあたるので地名との直接的関係性は無さそうです。ちなみに全国的に見ても「道徳」という地名を持つのは高知県四万十町道徳という1つだけ。駅では愛知県の名鉄常滑線に「道徳駅」というのが唯一です。ココは、地名でも無いのになぜこのような名前が付いているんでしょうね。ちょっと気になります。

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小さい以外は普通の踏切なんですけどね

以前、南木曽町に読書発電所というものがあると書きましたが、そこは地名が由来となっています。姨捨駅はスイッチバックで駅に入るということで、鉄道ファンには人気の駅ですが、まさにこの道徳駅はスイッチバックの際に通過する踏切なのです。なんだか、特記要素はいろいろとあるように思いつつも、この地名の由来についてはわかりませんでした。

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わかないので道徳について考えてみました

そうそう電車も来ないので、安全を確認した後、「道徳」というものについて考えてみました。

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うーん…

姨捨に残る伝説にこういうものがあります。

「むかし、年寄り嫌いな殿様が、60歳以上になったら山に捨ててこいという御触れを出しました。若者は大切にしていた伯母を泣く泣く山に捨てるのですが、帰りに道に迷った若者は伯母の知恵を借りて、小枝を目印替わりに使うことを教えてもらいます。その後、殿様は隣国から“灰の縄を作らないと攻める”と言われ、困ってしまいました。そして若者は伯母の知恵を借りて、見事に灰の縄を作ってしまうのです。そのことを殿様に言い、60歳以上になったら山に捨てるという御触れを取り消してくれと懇願しました。年の功は大切だと知った殿様は、御触れを取り消したという話」

姨捨駅にはこうした伝説が書かれています。現代の道徳ってもっともっと根が深いものだったりするのですが、昔は割と身分の違いで当たり前のように不道理が通っていました。今も表面上は、身分違いが無くなっていますが、実際はいろんなところで不条理、不道理、理不尽が通っていたりします。踏切で考えることではないかもしれませんが、せっかくの道徳踏切なので、ちょっとそういうことを考えてみました。具体の話をすると、長くなるので控えますが…。

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うーん、しかしなぜ道徳っていうんだろう?

まったくもって、『道徳踏切』という名前の由来は分かりませんが、『姨捨』というちょっと浮世離れした名前の駅の近くにあるっていうのは、どこか必然のような気もしてきます。姨捨近くに道徳あり。姨捨駅は、日本三大車窓に入るほど駅からの景色が良いので、なかなか下車する人はいないかと思いますが、もし機会があればこの『道徳踏切』に行ってみてください。