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長野のゲストハウスに1年通った僕が、地方都市の地域コミュニティに思う6つのこと

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このブログをやっていることで、かなりの頻度で長野県に行ってます。最初の頃は楽天やじゃらんで最安値のビジネスホテルを探して泊まっていたのですが、ゲストハウスという宿の存在を知ったのが一年前。2012年2月26日に、長野市にある『1166バックパッカーズ』というゲストハウスに泊まったのが始まりで、それから幾度となく宿泊するような生活を続けています……。

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1166バックパッカーズの玄関

なんと言っても劇的に安い(1泊2000円台)というのも理由にあったんでしょうけれど、知らず知らず、地域のコミュニティ感に惹かれていったのではないかと自分では分析。というわけで、自分なりに感じた地域コミュニティについて書いてみようと思います。

1.地域コミュニティなんてウソだと思ってた……
僕は大阪生まれ。大学で長野に行った後、今は都内で働いています。そんな僕はよく耳にする『地域コミュニティ』というものを、いまいち実感する機会がありませんでした。正直なところ、ちょっとウソ臭い言葉というか、「要するにボランティア活動でしょ!」などと、論旨も通っていなければセンスのかけらもない位置づけをしていたように思います。

だけど、実際長野に通って、ゲストハウスの人たちや、それを取り巻く地元の人と喋っていると、「あぁ、これが地域コミュニティというやつか」と気付かされました。実は、これを気付くまでにもかなりの時間が掛かったわけですが、今になるとようやく整理できてきたので、順を追って書いていこうと思います。

2.なりわいを尊重し合ってる
最初に強く感じたのは、地域の人達。つまりは『地域コミュニティ』を形成している人達は、お互いの「なりわい」を尊重し合っている関係なのだということ。僕が通ったゲストハウスは、長野市の善光寺の近くにあるので、その近辺では『門前町』と言われる集落が形成されています。

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善光寺

なので、周辺にはお土産屋さんや旅館などのお店が多く、そこは商業的なカラーを強く持った土地。そんな場所で見た『地域コミュニティ』なので、余計に強く感じたのかもしれませんが、そこに住んだり通う人達は、お互いが職として行なっている「業」をきちんと尊重しているように思えました。

宿屋(ゲストハウス)の人は、「宿屋をやってる○○です」と自分を表現できるし、回りの人も「西町の宿屋の○○さん」等というように個人を認識している傾向を強く感じます。なので、他人を紹介される時も、「陶芸作家の○○さん」だとか、「本屋の○○さん」、もちろん店だけではなくて「青年会議所の○○さん」など、人に対して肩書きを付けて回る節があるんですね。

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老舗の傘屋さん

それにはもちろん、紹介しやすい、認識しやすいという単純な意味もあるのでしょう。ただ、他人である僕に『紹介』しようということ自体が、もう尊敬であり、尊重のあらわれ。ウラで組合が手を組んでいて、スーパーシナジー効果を狙ってやろうと誇大広告を打っている可能性もありますが、少なくとも僕が実際に会話してみると「売り込み」というんじゃなく、「わたしは、この店のコレを良いと思っています」と自己主張を行なっているように思えました。生暖かさというものでしょうか。

Facebookで「これを“いいね!”している自分ですけど何か?」的な感覚とも言えます。例えはあまりよくないかもしれませんが、少なからず相手を尊重できているからこそできること。決して、無難な売り込みではありません。僕はこういったことを、『地域コミュニティ』の一つの側面として「なりわいを尊重し合う関係」だと感じたわけです。


3.とにかく皆が皆を知ってる
また、長野市の門前町では、とにかく、皆が皆を知っているという傾向がすごく強かったことも印象的。深く調べ尽くしたわけではないですが、何人かキーパーソンとなる人がいて、そういった人が、人と人をつなぐハブ的な役割を果たしているのだと思います。

そんなキーパーソンとなる人が何をやっているのかというと、先ほどの話に戻って、ただただ『なりわいを尊重している』わけです。他人の「なりわい」を尊重しているから、紹介し合う関係となって、どこかで出会う機会が自然と生まれてきます。こんな僕でさえ、初めて行った喫茶店で「キミはそんなブログを書いているのか。じゃあ、今夜のまちづくり協議会に顔を出した方が良い!」と、謎のお誘いを受けたりしました。外部中の外部である僕が、まちづくりのための会議に参加するなんて、おかしな話ですが、きっとそういうことの積み重ねで、皆が皆を知ってる状況が生まれているのだと思われます。

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ここで話していたら、まちづくり協議会に連れて行かれた

僕は東京都内のアパート暮らしですが、隣の人が何をやっているのかも知りませんし、地域に何があるのかもよくわかりません。家の周囲より、長野市の門前町界隈の方が顔が割れているという不思議な状態になっているのもちょっと変ですね。


4.知られているストレス
そんな、漫画の中の世界のような。まるで『サザエさん』の町内のように、人と人がリアルに触れ合っている門前町を見ていると、やはり気になるのがストレスについて。とにかく周囲の人が自分のことを知っているという状況って、時にはストレスになることもあるんじゃないかと思うんです。

僕は都内のアパートでの一人暮らしなので、正直そういう類のストレスはありません。外を歩いていて「あの人・・・」というように後ろ指を指されるような思いをしたこともないですし、そういった意味では快適に暮らせています。

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旅の一期一会とは違いますしね……

実際問題、たぶん地方都市の小さなコミュニティの中で暮らしているとストレスはあると思います。だけど、それってある意味「都会でクールに暮らすこと」を覚えてしまったがために感じるものであって、基本的にはそのストレスこそが日本古来からある暮らし方なんだと解釈することもできるでしょう。

「人疲れ」をするのが嫌で引きこもったり、ネットの世界に閉じこもったりするケースが増えている現代社会。なかなかそういう人には『地域コミュニティ』の中に溶け込むことって、ハードルが高いように思いますが、ここでも最初に述べた「なりわいを尊重し合う」の精神に立ち返ると上手くいくように思います。

回りの人に「僕は、極端にべたべたするのが嫌なんだ」とハッキリ言っておけば、それはそれで尊重してくれる人がきっといるハズ。自分にとって大切なキーパーソンと出会い、その人に自分のことを発信することで、回りと調和した暮らしができるのかもしれないですね。

ちなみに、これはもっと憶測中の憶測ですが、精力的に活動しアチコチを行き来する人になることで、ストレスなんか感じないほど門前町に身を置かないという必殺技を使っている人もチラホラいたような……。全員ができることじゃないですけれどね。


5.問題を共有できる関係
得てして地方都市の『地域コミュニティ』には、何かしらの課題があります。高齢化、ドーナツ化、観光客の低迷など、これだけ不景気の日本で、課題を抱えていないコミュニティなんて無いんですよね。そんな中で、皆が問題を共有できる関係にあることはすごく心の支えにもなるでしょうし、もし「行政が敵だー!」というならば、そのこと自体が結構エネルギーになることもあると思うんです。

ただ、あまりに具体的な問題が激化していると、「反対派」と「賛成派」に分かれ、大変なことになるかもしれないんですけどね……。そういった時のためにも、「なりわいを尊重し合う」というのが大切なこと。大火を小さくすることはできるはずですし、小さな火で留めておくことも可能です。


6.トーキョーだって変わらない
こういったことを考えたとき。「長野って素晴しいわん」「やっぱり門前暮らしは憧れるわん」「田舎は空気も良いし、なんかイイ感じ〜」と思ってしまいがちなのですが、今一度考えるべきなのは、まず自分の住んでる町のコミュニティを見直すということ。

都会だから、閉鎖的なのではなくて、自分自身が閉鎖的だから、コミュニティが作れていないのかもしれません。コミュニティの中に入れていないのかもしれません。長野のゲストハウスやそれを取り巻く人は優しいし、ホスピタリティができているので、結構なんでも受け入れてくれます。側面だけ見ていると、それが何よりスバラシイことのように思えますが、やっぱり大事なのは自分の行動如何なのです。

そんなことを思って、都内にある家の近くのカフェと、お蕎麦屋さんに通うようになりました。今の所何も生まれた感触はないですが、これを続けていれば常連客として認識され、キーパーソンが新たなコミュニティへいざなってくれるのだと思います。そんなとき、尊重してもらえるような「なりわい」があれば、尚のこと道は早いかもしれないですね。