長野ウラドオリ

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にわか分析する暇があるなら『まちの一員』になる意識を持った方が良い

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久々に長野で宿泊しました。(と言っても7ヶ月ぶりくらいなので、一般的な旅行者としては全く久々ではないのですが…)
やっぱり宿泊はいいですね。人と話せる時間がとれるし、町の細かい部分まで踏み込むことができます。

というわけで、久々の長野市。街がちょっと変化していました。

閉店したり、休業してる店がチラホラ。街からいなくなった人もいたようで。“あったもの”がなくなるというのは寂しいものです。あり続けることの奇跡。喜びと感謝。ありがたい。

けれど、『なくなることもまた、エネルギー』なんですよね。

これまで僕は、店が閉店すると聞くと、とにかくそれは圧倒的にマイナスなのだと捉えていました。「ほら、そんなんじゃ儲からない」「結局、最初のうちだけだったね」「借金もあったのかな、大変そう」「やっぱり地方は不利なんだ」

コンパクトなコミュニティにおいて(←この前提大事)、こういう見方をしている時点で『まちの一員』ではないんですよね。すごく冷えついた無気力な考え。自分と『まち』とを切り離して考えてしまっている。自分は毎日働く先があり、そこから一定の給料をいただいてる。それはこの先も永久に続くので、まちの変化は自分に何ら関係しない。……そんな風に捉えてしまってるサスペンスな思考。ダメというか謎です。つまりダメ。

本来ならば、「あそこの店主は次に何をやるんだろう?」「いままで培ったノウハウで○○すればいいんじゃないか?」とか、そういう前向きな思考であるべき。

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でも、それさえ本当はお節介な話で、まちで真剣に生きてる人は絶対に次のことを見据えています。絶対の絶対の絶ッッ対!!!

閉店したり、まちを出た人には必ず理由があります。次へのステップ。トライアンドゴー。無くし失うことで生み出すものが何かしらあるハズなのです。『まちの一員』ならば、それを信じるべき。やれることがあれば協力すべき。間違ってると思ったら言うべき。

まちから何かがなくなったとしても、それは決してマイナスではありません。パワーアップのための準備期間になってるわけだし、そもそも準備期間自体がパワーになってることもある。もしかしたら、それらを経てパワーアップした店や人が、その新エネルギーを別の土地で発揮するかもしれません。そうなると、まちにとっては損失のようにも見えますが、それはそれで『別な土地との繋がりが生まれた』と考えることもできます。

なくなる。失う。消える。そういうこともコミュニティがパワーアップするきっかけ。新たなチャンスはいくらでも多角的に生み出すことができます。

僕が考える以上に、多くの人が邁進していました。「そういうのはただのキレイ事だから……」って言っちゃうような不毛な評論家の真似事はいったんやめにしてみます。