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飯山市で「銀座の柳二世」という謎の木を見つけたが、歴史を聞けば感動した。

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飯山市を歩いていると、『銀座の柳二世』と書かれた立て札を見かけました。隣には確かに柳の木があるのですが、なぜ飯山で『銀座』なのかもわかりませんし、『二世』というのも謎です。

何か特別な由縁があるのか。それとも誰かが勢いで名付けたものなのか。はたまた、僕個人が知らないだけで『銀座の柳二世』という種類の植物はかなりメジャーなのか。

気になって調べてみると、なんとそこには長い歴史と感動秘話が詰まっていたのです。

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飯山市の『銀座の柳二世』

時は明治時代にさかのぼります。

明治政府は東京の銀座通りの整備をはじめ、街路樹を植えようとしました。ところが当時、銀座の土は弱く、桜や松の木が枯れてしまい上手く育ちません。そこで考えられたのが『柳』の植樹。柳は見事に育ち、銀座の名物にまでなりましたが、昭和に入り、空襲でほとんどが失われてしまいました。

その後、柳は植え直されたりしつつも、高度経済成長で銀座はドンドン都市化していきます。その余波からか、柳はかつての元気を失い、建設ラッシュによってとうとう昭和43年には銀座から柳がなくなってしまったのです

そこで、立ち上がったのが勝又康雄さんという男性。彼は、日野市にかろうじて移植されていた、銀座の柳を求め、枝を譲り受けました。自宅で差木しながら柳を育てあげ、ふたたび昭和60年に銀座に柳を返すことができたのです。

それを「銀座の柳二世」と名付け、昭和61年以降、全国各地に寄贈しているのだそう。飯山にやってきたのは平成11年で、僕は見つけられませんでしたが「銀座の柳三世」というのも飯山市内にあるらしいのです。

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銀座からやってきた柳

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復活した柳だったのです

ちなみに、昭和62年。朝日新聞に「銀座の柳は安曇野産だった」という記事が出たことで、元々明治時代に銀座に植えられた柳が、安曇野のものだったことが判明したのだそう。記事がきっかけとなって、穂高町(現・安曇野市)が東京都中央区に対し、100本の柳を贈り、その返礼として穂高駅前にも『銀座の柳二世』が植えられているようです。

なかなか歴史深い、紆余曲折を経て長野県にやってきた『銀座の柳二世』。ぜひ、飯山や穂高を訪れた際は、見てもらいたいと思います。

参考:銀座の柳~Ginza Willow Pictorial