
1959年1月1日に栃木県足利郡菱村が群馬県桐生市へ編入されて以来、46年ぶりの越県合併となった山口村の岐阜県編入。2005年2月13日、長野県木曽郡山口村は、岐阜県中津川となりました。様々な意見が飛び交って、当時はかなり話題となったのですが、村民の生活圏がおおよそ岐阜県中津川市だということで、合併されることに。馬籠宿という観光地が長野県から岐阜県に行くことや、そもそも県に対する思いもあって反対していた人もかなりいたようですが、それから約7年半が経過。行ってみると、まだまだ長野県の痕跡が各所に残っていたので一部を紹介します。

敷地境界を示す石杭

けっこうアチコチに長野県!
本来なら、岐阜県の道路部分と私有地との境界を示すはずなのですが、昔の名残で長野県っていう標が埋まっていました。確かに、全部付け替えて行くのは大変ですものね・・・。順次、順次行っていくことになるのでしょう。

新しいものはこのように
ただ、当然ながら新しい住宅などの敷地境界には中津川市という石杭も確認することができました。こうして時代はゆっくりと変わっていくんですね。

カーブミラーには山口村と!

こっちにも!
県だけでなく、今は使われなくなった山口村という表記も残っています。今は中津川市山口か、中津川市馬籠という住所ですからね。「村」って書かれているのも、昔の名残なのでしょう。越県合併したことで、中津川市の人や旧山口村の人の生活がどのように変わったのか?!そして、どう感じているのか?!までは踏みこめていませんが、何気なく通りかかるだけでもこれだけ昔の名残が残っているというのはなかなか感慨深いものがあります。もし、キレイさっぱり痕跡がなくなっているのもそれはそれで寂しいと思うので、しばらくはこうして長野時代の雰囲気を残しておいてほしいなと、結構身勝手に思ったりするのでした。