
長野ウラドオリを書いてるワカバヤシです。
ボクの世代で若林というと、小学生の頃はキャプテン翼の名GK「若林源三」のイメージが強烈でした。ボク自身まったくサッカーができないのであまり定着しなかったのですが、「源三」というあだ名をつけてくる人も時々いたくらいです。若林あるあるですね。
そして、2007年頃にお笑い芸人のオードリーさん(若林正恭さん・春日俊彰さん)がブレイクしたことで、芸能界に「若林」という名前が広がりました。(Gメン75で活躍した若林豪さんもいるのですが、ボクとは少し世代が違います)
このように、特段珍しい苗字ではないものの。大阪で育ったボクは家族以外の若林さんをほとんど知りません。
ですが、長野県に引っ越してから。
初めて会う人に名前を告げると「あぁ若林さん、長野県の人ですね!?」と言われる機会が何度かありました。ボクは大阪出身ですし、長野県に親戚はいません。でも、どうやら長野県には「若林さん」という人が、一定数いるようなのです。
そしてある時。
それが上田市真田(旧真田町)に集中しているという情報を入手しました。
真田町といえば、NHK大河ドラマ「真田丸」で話題沸騰! 真田一族生まれの里。もしかして、若林という名前は真田一族と何か深い関係があるのかもしれない。真田の家臣だったかもしれない。

ということで、ボクの名前「若林」と、真田一族との関係を探るべく、実際に上田市真田に行ってきました。
真田町に若林さんはたくさんいる!

上田市真田町
上田市は長野県の東信地方にある市。2006年に小県郡丸子町・真田町・武石村と合併しています。そんな旧真田町は、現上田市の北部。菅平高原などの高地エリアもかつては真田町でした。
さてさて、真田町にある若林。

行政書士事務所!

車の整備工場!
結構あります、若林。そもそも店なんかがたくさんある町ではないので数自体は少ないですが、ちょこっと見渡せば「若林」という文字が飛び込んできます。
高揚、高揚、胸躍る。特に、オートステージ・ワカバヤシなんてカタカナ表記のワカバヤシを見たときには、ちょっと鳥肌が立ちました。たぶん、他の人には一切伝わらない感情だと思うけれど、そんなのどうでもいいんです。
やはり真田町には、若林がいる!
真田家ゆかりの神社で話を聞こう

神社に行きました
ということで、町の歴史を知るには神社が良いのではと思い、真田町にある「山家(やまが)神社」というところに行きました。
ちなみに。山家神社はその名前から、サッカーチーム松本山雅FCのサポーターが勝利祈願に来たりするそうです。なんだか、その話も面白そうなのですが、今回は若林、若林。

山家神社の敷地には「真田神社」が建立されています
真田神社といえば、上田城に「眞田神社」というものがあるのですが、実はそっちの眞田神社は昭和38年に名称変更によって誕生したもので、もともとは松平神社と呼ばれていました。
なので、本家(という言い方が正しいかは知りませんが)の真田神社は、旧真田町、山家神社に併設された方だと言われているそうです。実際、山家神社は上田城の鬼門除けとして高く崇拝されていて、真田一族にすごくゆかりがあることで知られています。
そんな山家神社なら、若林について何か重要なことがわかるはず!

神主さんに話を聞く
ボク「真田町って、若林さんという方が多いんですよね?」
神主「ええ、多いですね」
ボク「ボクも若林なんですが。ちょっと気になってまして…」
神主「あぁでも、どちらかというと。若林さんは、真田町本原の方に集中してますね」
そう。最初に見た行政書士事務所や、自動車整備工場がある地区。それこそが、真田町本原というエリア。真田町の中でも「若林さん」が集中している地区があるらしいのです。

売店にいた人にも話を聞く
ともあれ、問題なのは若林さんが、真田一族と関係しているのかどうか。
それについて尋ねると、「はっきりしたことはわからないが、無いとも言えない」とのこと。
というのも。
若林さんが多い本原地区は、真田一族が拠点を移していく過程の中、屋敷を置いていた場所。そんな地区に集中して存在する若林家は、真田一族と何らかの関係があっても不思議ではないとのこと。

真田一族は拠点を南へ移して行ったみたい
いろいろと定かではないこともあるらしく諸説あるとは思うのですが、真田一族の拠点移動についてざっくり言うと、以下のようなイメージです。

①日向畑遺跡(これが初代真田家の墓という説がある)

②真田氏本城(真田幸隆が築いた城跡)

③真田氏館跡(真田昌幸が上田城を建てるまで住んでいた屋敷)
なので、若林さんが多い本原地区は真田一族にとってとても重要な拠点であることがわかります。そんな場所なら、さすがに若林一族と真田一族が無縁のはずはないでしょう。

きっと何かあるね!
しかし。
あくまで山家神社では、それ以上のことはわからないとのこと。近くの寺に行けば、古いことを知ってる人がいるかもしれないと教わり、今度は「長谷寺」に行ってみることにしました。
いざ!長谷寺へ!

長谷寺
ここ長谷寺も真田家にとって非常にゆかりのあるお寺。
真田昌幸は父幸隆の供養のため、長谷寺の増築改修を行い諸堂を完備したと言われています。

本堂の奥には真田昌幸・幸隆の墓があります

お賽銭は六文銭のように並べられていました
まったくの余談ですが、長谷寺の本堂奥にある「墓地への入り口」には、このような貼り紙が!!

ポケモン保護区だそうです
長谷寺にいるポケモンは捕獲しないようにしましょう。

若林さんについて聞いてみたけれど・・・
ただ。ここでは、若林さんについて重要な情報は得られず。
真田一族と若林さんに深いつながりがあったかどうかはわからないそうです。残念。
本原地区で聞き込み
やはり。若林さんが密集しているという、本原地区で聞くのが一番良いのかもしれない。そう思って、本原地区の真田氏歴史館に行ってみました。

真田氏歴史館

歴史館の目の前のアイス屋さん
しかし、ここで聞いてみても真田一族と若林さんの関係についてはいまだはっきりしません。
ただ本原地区に行ってわかったのは、本原地区の中でも小玉上郷沢と、赤井という集落に「若林さん」は密集しているということ。特に、赤井集落に関しては、小林さんと若林さんしかいないんだとか。
若林さんって、すごいコアなところを陣取っているんだね。

どちらも真田氏の屋敷からすぐ近く!
ちょっとずつではありますが、事実が明らかになっていく中。もう少し有力な情報をつかみたいところ。そうこうしていると、地元住人の方と出会うことができました。

話しかける!
ボク「このあたり、若林さんが多いんですよね?」
女性「うん多いよ。私も若林だし」
ボク「え!!」
今回いろんな人に話を聞いていて、初めて真田町の若林さんに出会うことができました。
すごい!!!
リアルな若林さんと会えた!しかも年齢的には、古い歴史について何か知ってそう。超期待できる!
脳内に、真田丸のオープニングBGMが流れはじめました。
えらいことになりよった!!!

左も若林、右も若林

親切に教えてくれました
まずは、真田町本原の赤井集落と、小玉上郷沢に若林さんが多いという話を改めて確認。
そして本題である「若林さんと、真田一族の関わり」について聞いてみると・・・。
・・・・。
・・・・。
・・・・。
・・・・。

「ないよ」
・・・・そうなんです。若林さんというのは、もともとこのあたりに一軒しかなかったそうですが、子々孫々に受け継がれていく中で、たまたま増えたのだとか。「真田家に仕えていたなんて聞いたこともないし、あったとしても家臣の家臣の家臣の家臣の、低い役職の人だったのでは?」と言われました。
イメージ的には、豊臣秀吉と石田三成レベルのつながりを期待していたのですが、そんなことはまったくなく、ただこのあたりの集落に多い名前というだけだそうです。……残念すぎる。
そして、こんな記述もネット上で見つけました。
昔林を持っている人が林と名乗りました。まだ立派な林に育ってない林を保有している人が若林と名乗りはじめたらしいです。どれくらい信ぴょう性があるのかわかりませんが、これが本当だとしたら相当安直なネーミングですね。林業も立派な仕事ではありますが、戦国武将と比べるとインパクトや派手さが違いすぎます。

ありがとう若林さん
真田家との関わりはなかったとしても、ボクは真田町の若林さんと仲良くなりたいです。